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野守水矢さん (91n68ykn)2024/3/8 14:24削除の作品の感想を書くにあたって、林芙美子の著作「新版 放浪記」(林芙美子, kindle版)と「戦線」(林芙美子,中公文庫, 中公eブックス, kindle版)を先に読んだ。後者には従軍作家としての漢口戦記「戦線」と満州の紀行「凍れる大地」が所収されている。
その上で本作品を読めば、これは林芙美子の文学についてのわかりやすい評論、解説である。「文学横浜の会」で「放浪記」と「戦線」について読書会をすれば、かくもあろうか、と思わせされた。
林芙美子は「放浪記」に文学で身を立てることに執念を燃やしながらそれもかなわず、極貧と絶望の生活を描いている。プロレタリア文学とされるが思想的な主義主張は一切なく、プロパガンダは見られない。ただ、ひたすらもがき苦しむ日常を日記として記録した体になっている
「戦線」は陸軍派遣の従軍作家の目で漢口攻略戦を描いたものである。銃後の戦意を高揚するミッションのため、破竹の勢いで進軍する日本軍を誇り、兵隊の苦労をねぎらっている。漢口陥落を喜ぶ姿は、その筆致から林芙美子の本心であると推測される。作品では「当時の政府の検閲もあって、こんな感じで記録してあるのです(p26)」と検閲に責を負わせているが、それだけだろうか、芙美子の本心でもあったのではないだろうか。その一方で、忖度したのか指示・暗示されて書いたのか文脈からは不自然な祖国賛美も、筆が迷っている感じのする箇所も見られる。
ショウの日本軍への怒りの感情が、「中国の人たちは怒っています」と報道や評論で見かける表現と同じ感じで、心の底からの怒りの感情が読み取れなかったのは残念である。
なお、作品では触れられていないが「凍てつく大地」に登場する満州人、支那人は人格についての描写がなく、単に風景の一部のような感じである。満州人、支那人は林芙美子の眼中に全くなかったことが見て取れる。
興味深いのは、「放浪記」に描かれた貧困に絶望する姿から時代の寵児となってからの「戦線」に見られる得意の絶頂を謳歌する姿の変貌である。
作品では、得意になって舞い上がった、飢えの恐怖で仕事を失いたくなかった等の推測が記されていて、私も読書会があれば同様の発言をしたと思うが、欲を言えばこういった論を支える資料が欲しいものである。一人の人間が、軽蔑されていた極貧生活から喝采を受ける立場になると、どのように変貌するのかには、大いに興味がある。
林芙美子について、メタバース上で水先案内人「はやしふみこ」と同行者「ショウ」とともに林芙美子存命当時の現場を訪ねて対話する、という構成はよく考えられている。現存しない現場をリアルに探訪するためにメタバースは好都合な設定であると、認識した。
私にとっては、読んだことのなかった林芙美子を知り、読むよい機会となりました。ありがとうございます。